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DVD『チベット死者の書』(語り:緒形拳)公式サイト制作

ジブリ学術ライブラリー作品 DVD『チベット死者の書』公式サイトデザイン © Rapha Ltd. Author: 高井真一

宮崎駿監督が、『もののけ姫』を作りながら、繰り返し見ていたと云う、NHKスペシャルのドキュメンタリー『チベット死者の書』なるモノが存在する。
此度、その公式サイトを制作させて頂きました。

そう云えば、『もののけ姫』は、映画館で観た第一印象に留まらず、時間をかけて見方が変わる作品だった。

全体として何を伝えたいのか把握しきれないまま映画が進み、テーマが膨大だったからなのか、感情を何処に持っていけば良いのか、ともかく漠として、見終わった達成感など見つからない程、説明のつかない感情が溢れ出して足元からあたり一面まで広がり続けているのだから。

けれども、何度か歳月を重ね繰り返し観ていると、自分なりの解釈ができる部分も多くなり、時々また観たくなる映画となったのだ。

此度、『チベット死者の書』の存在を知り、さらに『もののけ姫』という映画を通して、宮崎駿監督が伝えたかった何かに近い理(ことわり)、つまり、映画全体を包み込む思想が見えてきた気がしています。

そして、ドキュメンタリーで『チベット死者の書』の内容を語るは、緒形拳さん。 つい過日亡くなられ、最後まで潔い姿に改めて尊敬した、緒形拳さんだったのだ。

映画『楢山節考』の役を経験されていたことからも、おそらく、的確に『チベット死者の書』の死生観を捉え、揺るぐこと無く声を吹き込まれたのだと想像。

人類という種の生命の移り変わりを川に例えるなら、少子高齢化は、よどんでしまった状態ではなかろうか。

古い水は、いつまでも留まろうとして、湧き出した新しい水は清く流れたくてもゴミや汚れで、ぬったりとした異臭を放ち、サラサラとは流れられない状況。

否、現在の世界人口爆発状態は、ヘドロの溜まった底なし沼に、雨がシトシト降る程度の代謝と表現するべきか。

個々の考えや哲学を尊重して、他者に価値観を押し付けたりはしないけれど、此方は、もう充分生きたから、延命は勘弁してほしい。
無駄な墓も要らない。 誰かのL.T.P.(脳に於ける長期記憶)にあるだけで倖せだから。

延命に繋がる治療が始まる前の動物としての平均寿命で良い。
生き死には生物の常で、医学の道は、個人の永遠や不老不死にはなく、冷静に発展すべきだと思うから。

我が世 誰ぞ 常ならむ ── と、云うではないか。

ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ ── とも。

映画『もののけ姫』の「シシ神様」も、たとえ十分に生きた者が、個人的なエゴで延命を望んだとて、自然界の理通り、死を与えるのであろう。

死を単純に怖がり、口にするのもタブーとして、ICUや霊安室など遠くに隔離、直視も避ける昨今の日本人。
充分に生きた人間が、欲や恐れで死を先送りした結果であるのに、短絡的に平均寿命が延びたと喜ぶなんて。

どんな環境や状態であろうと、その後の苦労がどうあろうと、単純に、生かすことが善で良いのだろうか。

アメリカにさえ、DNRという延命拒否する権利があるのに、日本の尊厳死システムは年会費を取る上に、法的拘束力を持たない意味不明な存在。

対して、誰にも必ず訪れる死という現象を、世代を超えて生活に浸透または共有することで、恐れること無く、心豊かに幸せを感じながら生涯を歩むチベットの人々。

自らの死に正面から向き合う事は、これからの日々の生き方を考えると云う事なのだから。

ジブリ学術ライブラリー作品『チベット死者の書』とは、過去に放送されたNHKスペシャルのドキュメンタリー番組を、スタジオジブリ・宮崎駿監督が推薦して現代に伝えていく試み。

宗教を押し付けられるわけでも、死に対して、難題をつきつけられるわけでもなく、そう云った人間が区分けした国や宗教等の概念を超越して、例えば、悠久の木々がそびえる、伊勢や熊野、そして出雲の森、或いは、屋久島の縄文杉の樹林に抱かれたような荘厳さを感じるもの。
死を迎える心の有り様や、心の安定をもたらすものかと思います。

勿論、オレの言葉より、DVDにも収録されたダライ・ラマ法王の解説を推奨。

市場原理主義、何でも手当たり次第に価格をつけて、共存や秩序を無視。
地球を破壊し続け、CO2排出権までもお金に換算する、狂った世界の金融戦争も行き詰った昨今、多くの人に見ておいてほしい作品。

そしてまた、宮崎駿監督の映画『もののけ姫』を観ると、自然の秩序の中で生かされている事や、ちりゆき前に成すべき事など、まだまだ沢山感じられるかと。